しまざき助産院ブログ

2025年11月11日

幸せな出産と育児ができる助産院のために共に働く

~娘の立場から~

私は現在、しまざき助産院で母と共に働いており、妊娠中から継続して一人ひとりと深く関わりながら助産ができる環境で幸せを感じながら日々働いています。

母が助産師を志したきっかけ

母は私の兄を病院で出産し、その2年後、自宅にて見事な自然出産で私を産んだそうです。当時、母は看護師でした。兄の時とは打って変わって幸せばかりの出産と育児に目から鱗の体験をしたそうで、その時の経験から、お母さんたちが幸せな出産と育児ができる助産院を開業したいと考え、助産師を目指したそうです。その後、兄が3歳・私が1歳の頃に助産師学校に通い、助産師免許を取得したと聞いています。

母は幼い頃から私に、「出産は痛くなかった」「家族みんながいる中で産まれてきた」「生まれてからすぐ、お母さんと離れずずっとくっついていた」「一人でも楽しそうに遊んでくれていて、勝手に寝てくれていた」などの話をしてくれました。そのため乳児期は全く覚えていませんが、家族から愛されていたことをいつも感じていました。

生後4か月から保育所に入り、母は夜勤で家にいないこともよくありましたが、それを寂しいと感じた記憶はほとんどありません。それよりも、「助産師は天職やねん」と話す母を見て、やりたいことを仕事にしている母親を誇りに思っていました。それと同時に、自分自身もやりたいことを仕事にしたいと考えることができるようになったと思います。

「やりたいこと」を大切にする生き方

やりたいことが分からなくて悩んだことや将来の夢がなかった時期はなく、いつも夢を抱き、常に一生懸命に取り組むことができました。これは、母親の背中を見て育ったことが大きな要因だったと思います。

中学受験や空手、スケートボードなどさまざまなことに打ち込みましたが、自分のやりたいことを否定されたことはなく、母はいつも全力で打ち込める環境を与えてくれました。常にやりたいことを尊重してくれていたからこそ、私自身も目一杯の努力ができていたように思います。

私の短い人生の中で後悔はひとつもなく、いつも夢があり、支えてくれる人々に見守られながら素晴らしい環境の中で過ごしています。これもひとえに、私を心の底から信じて育ててくれた母親がいたからだと思っています。助産師になった今、これまでを振り返って考えると、妊娠期から母が食事や生活に気をつけ、私の生まれる力を信じてくれたことが私の原点であり、生まれてから一度も母親と離れることなく過ごせた経験が私にいつも愛を感じさせ、私を信じ続けてくれたことが今の私自身の礎となっていると思っています。

助産師として、母と共に歩む

現在、母は、母親であると同時に仕事のパートナーでもあります。強い信念を持ち、自分の理想をカタチにして助産院を守り続けています。そんな母は私にとって、助産師として最も尊敬する人物です。

私は看護学生の頃から助産院を手伝っており、出産は幸せなもので、産後も幸せに溢れ、家族の絆は出産を経てより強くなる、ということが当たり前だと思っていました。助産を学んでいく上で、さまざまな出産体験や産後うつなどについて知り、私の中の当たり前が覆され大きな衝撃を受けました。しかし私は、このような幸せが当たり前になる世の中になってほしいと願っています。

幸せをつなぐ助産を目指して

子どもたちが、母親やその家族からたくさんの愛情を与えられ、自分らしく生き生きと過ごすことができたなら、世の中はもっと良くなるのではないかと思います。そのため私は、母親や家族から愛された自身の体験と、助産師である母親から学んだ幸せの原点を信念に持ち、助産をつなげていきたいと思っています。

(島崎いず美)

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